【日本社会におけるイノベーションとポストヒューマニズム】

世界は分断と二項対立の政治構造の上に成り立つのか。
それとも、共生への道を辿るのか。

流動性と普遍性の狭間で打開策に葛藤する日本社会は、世界全体がDX や対極化する政治の影響でポストヒューマニズムの時代へと移り変わる中、どんな未来社会や市民生活を世界に提示していくのか、ポストヒューマニズムの視点において、世界が日本に注目しているテーマであると私は考察しています。

しかし、そもそもポストヒューマニズムとは何でしょうか?

ポストヒューマニズムの視点というのは、レオナルドダビンチの「ウィトルウィウス的人体図」のような白人の体を持った男性を中心としたこれまでの哲学や人文学ではありません。ホモ・サピエンスの種を超えたものとの共生(動物・自然・テクノロジー・サイボーグ)や非西洋人であるマイノリティー達の存在を主体性の諸構造としてアファーマティブ(肯定的)に捉えています。いわば、ポストヒューマニズムの思想とは、持続可能性の問題を全面化し、人間と非人間的な存在達(テクノロジーとの融合性・AI・子ども・自然など)と共に一つの社会で共存する社会での倫理性や関係性に注目しています。ポストヒューマニズム提唱者であるジョン・ウェイバーは、「ポストヒューマニズムとは、人類の肉体や限界を超えた能力の向上、人間とテクノロジーや人工知能などのテクノロジーとの融合の表象です。そして、それら非人間的なものと共存することで人間らしさや文明の発展と幸福度を向上させる状態である」と述べていいます。その点においては、日本のハローキティーなどの可愛い文化や侘び寂び文化やアニメなどは、文化的な背景はそれぞれに異なるけれども、寧ろそのポストヒューマニズムの表象文化として考察するべき対象であると、私は考えています。

日本文化とポストヒューマニズムの関係性をパラドックスに考えてみると、21世紀のポストヒューマニズムにおける未来型社会の人間らしさや社会のあり方というのは実は、可愛い文化に代表されるハローキティーの「信頼」や「共生」というキャラクター性やアトムなど、すでに具現化された未来型ロボット達とのストーリーや調和も洞察することができるのではないでしょうか。

人と社会との心通うつながり。テクノロジーが人に寄り添う未来社会。

日本文化が独自に培ってきた「融合や平和」や「友愛(可愛い文化)」の文化をテクノロジーと融合されたポストヒューマニズムの世界で見出すことができれば、昨今の世界が直面している二項対立の社会構造ではなく、いのちや友愛の精神性を生かす未来の社会像を世界に発信していけるでしょう。世界が日本に注目している点は、必ずしも技術のみが先行した社会ではなく、そのような精神性ある「日本の美学」でもあるのです。

日本の美学ある未来のストーリーとは、どう紡がれるのでしょうか。

未来人間フォーラムジャパンはポストヒューマニズムの視点を通して、AI はじめ科学技術の発展と人類の関係性や世界観を問いただし、日本が独自に養ってきたいのちの大切さや可愛い文化に表象される友愛の精神性や美学を生かす未来の社会像を世界に発信し、これからの国際社会に貢献することを実現します。