若きフランス哲学学者Emmaさんが哲学とハリウッド映画を通して、伝えたい世界の真理とは!? 海外インタビュー第1弾 !をご一読下さった方、ありがとうございます。

質問4: エレガンスのラテン語の語源は、決して美しいではなく、elire (丁寧に注意深く選択する)だそうですね。フランス人女性のエレガンスさは、世界によく注目されますが、エマさんはその理由は何だと思いますか?

フランス人女性がいつも華やかなイメージの対象として、スポットライトを浴びることは、偶然なことではないと考えます。しかし、だからと言って、フランス人女性がこの地球上で、他の女性たちより魅力的な外見をしているとは、私は思いません。女性の魅力というのは、決してうわべなものや遺伝的なものではないのです!

フランス人女性が美や魅力に関して、よく取り上げられる理由として、私は自己認識や文化的な要因が理由だと考えます。決して外見の問題ではないけれども、自分の見せ方やどのような印象を与えるかを常々工夫して、試行錯誤しているのです。

そのエスプリは、決してうわべだけの外見の問題ではなく、家族や環境から無意識に影響を受けたエレガンスなのです。

とても抽象的な表現ですが、でもそれを一言で申しますと、「フランス人的な品の良さ」でしょうか。それは、哲学で答えがないように、これと言える条件はありませんが、あえて言葉にするならば、イタリア人やイギリス人女性たちに持ち合わせていない、フランス人女性の独自なスタイルであり魅力です。

フランスのエレガンスがこれほど世界に有名になったのは、美的に高められた意識と文化が美意識と昇華され、融合しているからでしょう。飾り過ぎず、派手過ぎず、スタイルはとても洗礼されていて、軽やかです。

フランス人女性のエレガンスというのは、自己認識された、色気が合わさった、落ち着いた雰囲気から来るものです。それは上品ぶったものでもなく、決して抑圧されたものではありません。

(大統領が住むエリゼ宮のすぐ近く、Circle of the Interallied Union 社交場であり、迎賓館のような場所です)

(以前、こちらに日本人のゲストとしてご案内いただいた際、建物の出口付近にクラシック調な机がいくつかおいてありました。そこで「質問です。この机はどんな用途で使用されるでしょうか?」と質問されました。私は、公務用と思ったら「ここはプラベートな手紙を書くための机なんですよ」とお話しされていました。
それは、遠くにいる家族かもしれませんし、心を寄せる人に送る手紙かもしれませんね。さすがフランス!メールの時代だからこそ、真心を大切にしたい机ですね)

 

質問5. 哲学は、一般的に難しい議題だと捉えられがちですが、Emmaさんは哲学の面白さをフランスのアカデミアとして、どう伝えるでしょうか?

哲学というのは若い人々には好まれる議題ではありません。それは、哲学とは何か日常生活とはかけ離れたものであり、何か理解しにくいものだと捉えられがちだからです。

けれども、私が伝えたいことは、哲学はみんなが楽しめるもの!ということです。

哲学というものはいかに思考を深め、いかに説得力を持った議論にまとめあげ、誤解を招く議題に対して、反論できるかを学べます。

過去に生きたすべての哲学の学者たちはとても理性的な人々で、私たちは皆、哲学の理性的な考えと大義によって生かされるべきで、その時に湧き起こる一時的な感情だけによって、衝動的に行動すべきではないということを学べます。

哲学というのは、人類の幸せを追求している学問であり、決して薄っぺらで抽象的なエンターテイメントではありません。だから、私はこのYoutubeの動画配信を通して、哲学に対するイメージを変えていきたいのです。そして、哲学と同時に、洗礼された芸術的な映画も同時に発信するのです!

(ルーブル美術館の向かいに位置する、アカデミーフランセーズ( l’Académie française) フランスの国立学術団体であり、ルイ13世に支えたリシュリュー公爵が設立しました。リシュリュー公爵は、フランスの文化・学問の発展に偉大な貢献をした人物として知られています)

 

質問6. 人類は、テクノロジーと科学の発展と環境問題という、未だかつてない変化の狭間(トランスフォーメーション)にいます。未来社会に向かう中で、果たして哲学はこの社会でどんな役割を果たし、何を私たちにもたらしてくれるでしょうか?

西洋の学問である人文学は、現代のテクノロジーの発展の希望によってこの文明の過渡期に、より「倫理観の根源」に関して、考え直さなければならなくなるでしょう。

例えば、遺伝子組換えの問題はアイデンティティーの形成に倫理的な疑問を投げかけます。医学の現場に応用されるテクノロジー技術というのは、私たちのすべての記憶と意識を失った時でも、肉体のみ(脳死)で生き続けられるように科学的に発展しましたが、それは「人間の尊厳」などに関する多くの疑問点を投げかけます。

最近のテクノロジーの発展というのは、AIが人を支配するなど、時として人々に恐れを懐かせます。それに対して、哲学というのは人々に根拠のない上部なユートピア論に流されずに、思考力とともに「変化への気づきと希望」を与えます。そのテクノロジーの発展への恐れと哲学の可能性の狭間には、かなりの認識のズレが現代の人々の中で生じているでしょう。

そのズレとは、「人々が科学的に発展させたテクノロジー」と「テクノロジーが社会に及ぼす影響を予測・認知・思考する能力」との間のギャップです。私が哲学学者として最後に、日本の皆様にお伝えしたいことは、哲学という学問は、テクノロジーがこの社会にもたらす光と闇を思考する力を与えてくれる、大切な光であり希望でもあるということです。

(以前、私がパリで住んでいたオルセー美術館近くのSolferino通りのアパートの部屋からは、シャルルドゴール大統領とミッテラン大統領の家が垣間見える場所でした。
シャルルドゴール大統領はしばしば暗殺の標的となりました。一度、銃弾を受けた際、胸ポケットに入っていた娘さんの写真によって銃弾によって、体に打たれることを避けることができたそうです。生かされるべき人生とは、ミッテラン大統領のような人生なのかもしれません)

EmmaさんMerci beaucoup!